[東京 30日] - 英国政府は3月29日、リスボン条約第50条に基づき、欧州連合(EU)に対する離脱通告を行った。これを受け、EU側は48時間以内に離脱交渉に向けた方針案をその他加盟国に配布することになっている。

この方針を採択する臨時のEU首脳会議が開催されるのが4月29日だ。その後に加盟国の外相から構成されるEU閣僚理事会が交渉開始を承認し、詳細な内容に関する交渉指令を検討し始める。この指令が承認されて初めてEUはバルニエ首席交渉官の下で離脱交渉に着手できるようになる。

交渉完了期限である2019年3月末というタイミングは、同年6月に欧州議会選挙があるEU、翌20年5月に総選挙を控える英国の双方にとって悪いものではない。だが、2年間で両者の「新たな関係」にまつわる交渉が完了すると考える向きは少ない。

1月、英政府との「感情的な対立」を理由として駐EU大使を突然辞任したアイバン・ロジャース氏は「EUと新しく結び直す貿易協定の締結には10年かかる」と述べていた(これに対し英政府報道官から「2年で十分」と一蹴されたことが辞任の一因となったと報じられている)。

現実問題として、残された時間はかなり少ない。まず9月に実施されるドイツ連邦議会選挙の終了まで交渉は進展しないとの見方は多い。とすれば、残された交渉期間は1年半というイメージになる。さらに、離脱に関する加盟国や欧州議会の承認手続きに6カ月程度の時間が必要とも言われている。つまり、実質的な交渉期限は18年9月であり、1年程度の期間しか残されていないことになる。

そのため、現実的には19年3月までの2年間は離脱協定の締結(離脱に際し、英国がEUに支払うべき費用やEU圏内に居住する英国人の処遇など)を済ませる「離婚協議」にしかならず、「新たな関係」を巡る交渉は19年4月以降に持ち越しとの見方が多い。

<懸念されるアイルランドへの悪影響>

離脱へのカウントダウンが始まるに伴ってEU加盟国に与える詳細な影響も方々で議論されることになろう。厳密には「新たな関係」が定まらないことには何とも言えないが、離脱通告日の正式決定に合わせ、英金融街シティと大手金融機関の関係がどうなるのかについて改めて注目が集まっている。EU離脱により英国がシングルパスポート(単一免許制度)を喪失する以上、在英金融機関は善後策を考えなければならない。

すでにいくつかの大手金融機関は英ロンドンの代替としてアイルランドの首都ダブリンを欧州拠点とする方針を示唆しているが、いくら英語圏で地理的に近いからと言っても、長年培われてきた国際金融センターとしての機能がダブリンで完全に代替されるとは思えない。3月に入ってからZ/Yenグループが公表した国際金融センター指数によれば、ロンドンは依然1位であり、ダブリンは33位である。

また、ロンドン凋落の裏で独フランクフルトや仏パリなども「漁夫の利」を得る可能性が指摘されており、実際にそれらの都市への業務移管を検討している大手金融機関もあるようだが、本当に重要なことは域内の拠点分散や再編で「欧州における金融業のコストがかさむ」という事実だろう。

「勝者はダブリンか、フランクフルトか」といった見方は狭量なものであり、国際金融センターとしての地位が底上げされる可能性があるのは常にロンドンとその地位を競ってきた米ニューヨークと考えるのが自然ではないか。この点、EUにとって最初の離脱国が英国であったことの不幸と言える。

なお、英国のEU離脱によって経済的な影響を受けそうな加盟国を見ると、アイルランド、オランダ、ベルギーなどの名前が挙がる。輸出先としての英国や直接投資の拠出国としての英国、移民供給元としての英国などの観点で評価した場合、どの項目も目立って大きいのがアイルランドだ。

例えば、各国輸出に占める英国の割合(15年)で見ると、ベルギーの約9%、オランダの約10%に対してアイルランドは約14%。英国から受け入れている直接投資(対GDP比、12年)で見ると、ベルギーが約13%、オランダが約26%であるのに対してアイルランドは約31%だ。

さらに、移民供給元としての英国という観点では受け入れ国の対人口比でアイルランドは約5%を占めており、これはEU加盟国の中では2位のスペイン(0.67%)を突き放している。こうした数字を見ると、ダブリンがシティの「おこぼれ」を享受できたとしても、実体経済への下押し圧力で相殺される経路を懸念すべきだろう。

<離脱通告後のポンド買いは危険な賭け>

離脱通告後のポンド相場はどう見るべきか。コンセンサスが揺らぎやすい為替市場において、過去1年、「英ポンドとメキシコペソは買えない」という論点は変わらず、結果的に見れば、それは正しい見方だった。だが、そうした流れが変わる雰囲気も出始めている。

3月16日にイングランド銀行(英中銀)が開催した金融政策委員会(MPC)ではフォーブス委員が0.25%の利上げを主張した上で、その他メンバーも緩和の早期終了を示唆したことが判明し、ポンド相場が急騰した。こうしたMPCの雰囲気は、昨年来の物価上昇について、必ずしもポンド安要因だけではなく、内需の復調も受けたものであるとの評価を反映している模様だ。筆者はそうした見方に同意しかねるが、確かに物価尺度から見たポンド相場は「底」に近づいているようにも見受けられる。

例えば、ポンド/ドル相場に関し、購買力平価(PPP、生産者物価指数を用いた2000年第1四半期基準)を見ると、3月時点で1.44程度であり、実勢相場(1.25程度)はPPPに対して15%程度の下方かい離(過小評価)となっている。20%が1つの下値めどとなってきた歴史的経緯を踏まえれば1.15程度までの下落は警戒したいが、昨年来続いてきた底割れ相場に終わりが見え始めたと考えることもでき、離脱通告を「あく抜け」として買い戻す向きが出てきても不思議ではない。

こうしたMPCやPPPの状況に照らして、対ドルでのポンド買い戻しを模索する向きは今後少しずつ増えてくるかもしれない。だが、それはまだ危険な「賭け」に思われる。

英国の実体経済の帰趨(きすう)を握るだろう包括的な自由貿易協定である「新たな関係」について、EU側から譲歩する意思や道理は全くない。むしろ、二度と同じようなまねをする国が現れないように英国を「見せしめ」にしたいという思いがEUには強そうであり、メイ首相が夢想する「オーダーメードで、いいとこ取り」の協定にはまずなるまい。

「新たな関係」がどのようなものになるにせよ、英国の財・サービス輸出入の半分を占めるEU向けについて今後は関税が発生するようになり、金融機関を筆頭に一定数の雇用が国外流出するという展開は不可避と思われる。

EUの(離脱派に言わせれば無駄な)規制を撤去することで、それらの悪影響を跳ね返すことができるのか否かは現状では定かではない。だが、多くの予測機関の見通しにおいて、EU在留ケースに比べ、経済が下振れるとの見方が支配的になっていることを軽視すべきではない。

「新たな関係」は英経済にとって「不確実だが、恐らく下押し要因」との見方が通説となっている中、ポンドを積極的に買い戻すのはやはり勇気が要る。今、ポンドを買う理由があるとすれば、「売られ過ぎたから」くらいしか思い浮かばない。

*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行国際為替部のチーフマーケット・エコノミスト。日本貿易振興機構(ジェトロ)入構後、日本経済研究センター、ベルギーの欧州委員会経済金融総局への出向を経て、2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。2012年J-money第22回東京外国為替市場調査ファンダメンタルズ分析部門では1位、13年は2位。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月)

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

(編集:麻生祐司)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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